自分らしく生きる
2015-09-30

#03 サフィア・ミニー / ピープル・ツリー代表

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「今はナチュラル志向の人が自然にフェアトレードのものも選ぶようになっています。オーガニックをテーマにどういう面白い社会を作れるか、そのことに挑戦するのはとても楽しい!」

皆さんはフェアトレードの商品を手にしたことはありますか? 発展途上国で作られた製品を適正価格で取引することで、生産者の暮らしを向上させることを目的としているのがフェアトレードです。ピープル・ツリーは、その代表的なライフスタイル・ブランド。現在はアジアやアフリカ、南米の13カ国、約140の生産者団体などと契約を結び、オーガニックをはじめとする自然素材の衣料品や食品などを、環境に配慮したプロセスで生産しています。そしてそのピープル・ツリーを立ち上げたのが、日本語も堪能な英国人のサフィア・ミニーさん。エシカル・ファッションの先駆者でもあり、世界各国を飛びまわりながら、フェアトレードの普及に邁進しています。そんなサフィアさんは、日本の女性をどう見ているのでしょうか? 現在までの道のり、またこの仕事を通して得た幸福などについても、お話をうかがいました。

*エシカル・ファッション=環境に負担をかけない自然素材、リサイクル素材などを使用して作られる良心的なファッションのこと。エシカルとは倫理的という意味。様々な認定基準のあるフェアトレードは、究極のエシカルと言えます。
――サフィアさんはお父様がインド系モーリシャス人、お母様がスイス人という家庭で育ったと聞いていますが、どんな子供時代を過ごされたのでしょうか?

私はロンドンで生まれ育ちましたが、白人ではない家族がまわりになかったので、自分もずっと白人だと思っていました(笑)。父は科学者で、誕生日のパーティーでマジックを見せてくれたりする楽しい人。母は本屋さんを営んでいました。7歳の時に父親がガンで亡くなり、私は弟たちの面倒を見ながら母を助け、13歳の頃から近所のハンドクラフトの店で日曜日は働いていました。母はソーシャルワーカーでもあり、アフリカからの移民へのボランティア活動などをしていて、それを手伝ったりもしていましたね。母と一緒にリサイクルショップで古着を買ったり、モノを大切にするという意識は小さい頃から自然にあったと思います。

――リサイクルやエコロジーなどへの関心は、誰かに教わったり本で読んだとかではなく、生活の中で自然に身に付いたものなんですね。

そうですね。母の影響がとても大きいと思います。

――高校卒業後は、すぐに出版社で仕事を始めていますね。

イギリスは階層がはっきりした国で、当時、大学には人口の5%くらいしか進学しませんでした。それで求人広告を見て、メジャーな雑誌の求人があったので履歴書を送りました。でも私はインド系の父の名字を継いでいて、インド人の名前だと面接もしてもらえなかったんです。それで母の名字で履歴書を出したら面接してもらえて、働くことができました。当時はメディア業界もまだ白人しか入れなかったんです。

――その後、出版社を4年で辞めて、22歳の時にバリ、インドネシア、タイ、ミャンマーなどをバックパックで旅をしたそうですが、この旅がその後の人生に与えた影響が大きかったとか?

この旅で実感したのは、本当の貧しさとはどういうことか、ということです。大企業によって土地を買収され農業ができなくなり収入源がなくなってしまった人たちや、森林伐採で自然資源がなくなってしまった土地をなどを見て、今の経済モデルが、どれだけ環境に悪く、人権を害しているかということを知ったんです。そのことを考えていく大きなきっかけになりました。経済力がないだけで、搾取されたり騙されたりする。経済の弱さというのが、人権問題の根本にあると気づきました。

――その後はどんな活動をされていたんですか?

イギリスに戻って、自分でコンサルティング会社を立ち上げました。それからオルタナティブ系の雑誌を発行して、女性の権利や小さなコミュニティに関する問題提起などを行っていましたが、25歳で結婚しました。そうしたら投資顧問会社に勤める夫が日本に転勤することになって、一緒に行くことになったのです。アジアの国が、環境問題や人権問題をどう考えているか知りたいという気持ちもあったので、いい機会だと思いました。

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取材撮影は自由が丘にある直営店で行いました。サフィアさんが着ているのは、インドの生産者団体「サシャ」によって作られた「手織りシルク・ランダムドットプリント フレンチスリーブ・ブラウス」。着心地の良さそうな服が、店内いっぱいにディスプレイされています。
――日本でもイギリスでやっていたことと同じような活動をしようと思われていたんですか?

まずは日本語の勉強をしようと、六本木にあるフランシスコ修道会の教会の日本語学校に行ったんです。そこではインドやイタリアの修道士がいて、ホームレスの人のためのサポートをしていました。そういう環境なので社会問題を話す雰囲気もあって、日本の現状に対する理解も深まりました。その一方で、ボディショップやPHPという出版社に勤めたりもしていました。

最初は海外駐在員が住む六本木で生活していて、90年代のバブル期でしたし、その界隈のエリートの人たちは、あまり環境とかエコに感心がなかったみたいだったけど(笑)、自分でオーガニックフードのショップを見つけたりして、自分と同じ価値観を持っている日本人の友人ができてホッとしました。その時代はまだウェブもないし検索もできないから、そういう場所を見つけるのも大変だったんですけどね。

その後、夫の兄がナミビアの女性と結婚することになり、それがきっかけで日本人の友人たちと、独立直後のナミビアのハンドクラフトの展示会を催したんです。それがメディアにとても注目されて、NGOの「グローバル・ヴィレッジ」を立ち上げることになったんです。その頃からオーガニックコットンの研究や、フェアトレード商品の開発を始めていて、95年に「フェアトレードカンパニー」を設立しました。一般の人が普通に買い物をしながら、環境問題や貧困問題に貢献することができるフェアトレードは、商品を紹介するだけではなく、商品が作られた地域の様子を知ってもらうことにもつながります。さまざまな社会問題に目を向けることは、消費者自身が住みやすい社会をつくることにもつながるということを、もっと多くの人に知ってほしいと思いました。

――ブランド名をピープル・ツリーとした理由は?

ピープルは人で人権、ツリーは木で環境につながる言葉として選びました。

――ピープル・ツリーを始めた時はまだ31歳なんですよね。当時としては若き女性起業家だったわけで、いろいろ苦労も多かったと思いますが、どんな点が一番大変でしたか?

フェアトレードでは必要に応じて、生産者に想定売り上げの50%を前払いすることがあります。だから経済的にはずっと大変でした。今は日本の銀行からも支援してもらえるようになったけど、ビジネスとして軌道に乗るようになったのは本当に数年前、設立して15年くらい経ってからなんです。

あと私は子供が2人いて、長男が今22歳、長女が19歳ですが、子供が8歳と5歳になるまでは自宅と事務所が一緒だったんです。素晴らしい考え方を持ったスタッフに囲まれていたのは、子供たちにとってもよかったんですけど、仕事とプライベートとの線引きがなかなかできなくて、その時は少し辛かったかな。長男は28歳、長女は31歳で生んだので、ピープル・ツリーはまさに子育てしながら育てたようなもの。だからピープル・ツリーが最初の子供で、3人の子供がいるということになりますね(笑)。来年こそはきっと、来年こそは、って思いながらずっと頑張ってきましたが、でも必ず上手くいくっていう確信はずっとありました。

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インドの「マカイバリ茶園」のバイオダイナミック・ダージリン紅茶に天然の香りをほのかにのせたフレーバーティーの数々。ボリビアの協同組合「エル・セイボ」が作るカカオ豆を原料としたチョコレート。バングラデシュの「「ディベロップメント・ウィール(DEW)」が作る手編みの竹製水切りバスケットなど、店内には食品や雑貨などもいろいろあります。どれもパッケージデザインがとてもキュートなので、ギフトにも最適。
――本当にエネルギッシュな人生ですね。ピープル・ツリーを始めてから現在まで、フェアトレードに対する人々の関心は変わってきていると思いますか?

フェアトレードって昔はヒッピーっぽいイメージがあったけど、今はモダンなものとして捉えられるようになりました。エコなライフスタイルが一般的になって、ナチュラル志向の人が自然にフェアトレードのものを選ぶようになっています。最近、『ザ・トゥルー・コスト(The True Cost)http://unitedpeople.jp/truecost/』というドキュメンタリー映画が公開されましたが(日本での公開は11月14日から)、ファストファッションの現場における人権や環境の破壊とか、今の経済モデルのシステムについて、とてもリアルに伝えています。モノを買うことの精神的な部分も、これからはもっと重視されるようになるんじゃないかと思います。

ただ、フェアトレードの製品でも、デザインがよくないとダメというのは一般の商品と同じ。だからショップの環境とか、今っぽく見せるライフスタイルの提案も、とても重視しています。商品のデザインは私がディレクションをしていますが、伝統を残しつつもモダンで、少しでも長く着られる、着心地のいいデザインを常に心掛けています。

――最初に日本に来た25年前と比べて、日本の女性も変わりましたか?

とても変わったと思います。25年前はもっとコンサバで、社会全体もびっくりするくらい男性上位だった(笑)。でも今は、自分たちが生きやすい社会を積極的に作ろうとしている女性たちが多くなりました。それがフェアトレードに対する関心にもつながっています。バブルの時はモノに関心があったけど、今は人間性とか精神性、また安全性とかに想いを寄せる人が多くなりましたね。

――ここ数年で世界各国でそういった動きは特に大きくなっていますが、ピープル・ツリーにとって何か大きな変化はありましたか?

ピープル・ツリーは2007年にファッション誌の『VOGUE』と共同で、ロンドンやNYのデザイナーとコラボしたコレクションを発表しました。それはオーガニック・コットンや伝統的な手織り布、 ヴィンテージ・サリーなど、インドやバングラデシュなどのユニークな素材や技術を活かした限定コレクションです。それがファッション・メディアの人にも注目されて、ひとつのターニングポイントになりました。その2年後には、女優のエマ・ワトソンがバングラデシュのスワローズという生産団体の村に、私と一緒に訪れてくれました。彼女も最近エシカル・ファッションに関する発言をよくしていて、それがまた流れを変えています。

――バングラデシュのタナパラ村にあるスワローズは、首都ダッカから車で5時間の田舎にあって、ファクトリーの敷地内には託児所や小学校もある。女性のワーカーたちにとっては理想的な職場だと思います。そこにエマ・ワトソンさんが訪れたことは、様々なメディアでも報じられていますね。

どこの途上国もそうだと思いますが、バングラデシュも工場はほとんど都会にあるので、みんな子供を置いて都会に出稼ぎに行ってしまう。若い人にとっては都会の工場に勤める方が自由で楽しく見えるかもしれない。でも、実際はみんな厳しい条件で働いている。住む場所も狭くて不衛生なところも多い。でもタナパラ村に住めば生活コストが都会の3分の1で済む。自分の家で家族と一緒に住めるし、そんなに贅沢なことはできなくても、精神的に豊かで快適な日々を送ることができるんです。

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バングラデシュのタナパラ村にある生産者団体スワローズで働く女性たち。ピープル・ツリーの服は、彼女たちのような開発途上国の人々によって作られています。食品の安全性が問われ、その生産者情報を求める人が増える中で、自分が着ている服が、どこでどのように作られているかを知るのも同じように大切なことだとサフィアさんは語ります。Photos by Safia Minney
――サフィアさんご自身が、アジアやアフリカなどの生産者さんの元を頻繁に訪れて、学校や託児所をつくるなど生活環境を改善するサポートも同時に行っています。フェアトレードは現地の生産者さんの暮らしを単に経済的に支えるだけに留まらないところが素晴らしいですね。

多くの人々が集まる場所を作ると、物を一緒に生産するだけでなく、例えばドメスティックバイオレンスや子どもの学校のことなど、さまざまな話題が持ち上がります。そういったこともひとつひとつ解決しながら、ビジネスとして成り立つ仕組みを地元の人たちと一緒に築いていくことは、本当に意義のあることだと思います。バイヤーとサプライヤーという関係じゃなくて、友達みたいに力をあわせて、染料の配合をどうするかとか、幼稚園をどうするかとか、いろんな問題を現地の人々と一緒に解決しています。そういうクリエイションの現場がやっぱり大好きなんです。オーガニックをテーマにどういう面白い社会を作れるか、そのことに挑戦するのもとても楽しいです。

――フェアトレードは私たち消費者や、それにかかわる人々の意識だけでなく、社会の仕組みを変えていくという役割も大きいですね。

そうですね。大事なのは、現地の人々が経済的に自立していくのを暖かく見守りながら、自分自身が現場にも積極的にかかわっていくことを忘れないでいる、ということです。どんな企業でも、やっぱり社長レベルが現場に行かないとダメ。だから本当はCEOレベルの人々を集めたブートキャンプをやりたいんです!自分のサプライチェーンがどんなものか、自分自身できちんと把握していないと、ビジネスモデルも古いままで変わらない。その正しいあり方を見せたいですね(笑)。(取材・文=freesia編集部 撮影=太田隆生)

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スワローズには、約300人の子どもが通う小学校も併設されていて、子供たちはみなサフィアさんのことを母親のように慕っています。この中庭を囲むようにファクトリー、小学校、託児所、研修に訪れる大学生などが宿泊する施設が建っています。このスワローズに、サフィアさんとともに女優のエマ・ワトソンも訪れました。Photo by Miki Alcalde
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『Naked Fashionファッションで世界を変える』
サフィアさん自身がファッションやカルチャーの関係者にインタビューを敢行して制作した本。ヴィヴィアン・ウェストウッド、エマ・ワトソンなど英国のファッション・リーダーをはじめ、歌手のUA、音楽プロデューサーの小林武史、ファッション・デザイナーのツモリチサト、フォトグラファーのレスリー・キー、作家の村上龍など、各界を代表する著名人が登場。さまざまな視点で語られる言葉から、フェアトレードを多角的にとらえられる一冊です。(サフィア・ミニー著/サンクチュアリ出版)
サフィア・ミニー Safia Minney

1964 年生まれ。高校卒業後、ロンドンで出版とマーケティングの仕事に携わる一方、人権や環境保護のNGO 活動に参加。1990 年夫と共に日本に転居。1991 年独立直後のナミビアを支援する展覧会を東京都内で開催。これをきっかけにNGO「グローバル・ヴィレッジ」を創立。1993 年バングラデシュを訪問しフェアトレード商品を共同開発。カタログによる販売開始。1995 年日本で「フェアトレードカンパニー株式会社」設立。2001 年ロンドンに「People Tree Ltd」を設立、通販事業を開始。日本とイギリスを往復して業務の指揮をとりつつ、各地の生産者を訪れて商品開発や地域発展プロジェクトを行う。2004 年スイスの「シュワブ財団」により「世界で最も傑出した社会起業家」のひとりに選出。2006 年イギリスの雑誌「New Statesman」と「Edge 財団」により「2006 年度社会起業家」に選出。2007 年「ニューズウィーク 日本版」で「世界を変える社会起業家 100 人」のひとりに選出。2009 年 6 月 フェアトレードとファッション業界への貢献が認められ、イギリス政府より大英帝国勲章第 5 位(MBE)を授与される。著書に『おしゃれなエコが世界を救う』『Naked Fashionファッションで世界を変える』など。