自分らしく生きる
2015-10-29

#04 ひうらさとる / 漫画家

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「女の子は恋愛が大好きだってずっと思い込んでいたんですけど、ある時、“あ、別にこういうふうに描かなくていいんだ”って気がついたんです」

仕事はバリバリ派なのに恋愛には興味がなく、家ではぐうたらに過ごす「干物女」。テレビドラマ化や映画化もされた人気漫画『ホタルノヒカリ』から生まれ、流行語にもなりましたが、その生みの親が原作者のひうらさとるさん。多くの女性が、主人公の雨宮蛍の性格やライフスタイルに共感できると大きな反響を呼んだあのストーリーは、ひうらさんが若い頃からずっと描きたかったものだったそうです。ご自身も「干物女」であることを明言していますが、この漫画を読んで、あるいはドラマを見て、「あ~自分はこんな風でいいのかな~」と思い悩んでいた多くの女性が、「あ、なんだ、これでよかったんだ!」と思えたかもしれません。ある意味、多くの女性に希望を与えた、その作品が誕生した背景など、創作の裏側を語っていただきました。

――やはり幼少期から漫画大好き少女だったんですか?

漫画は小学校に入ってからですが、親が教える前にペンを持って絵を描いたりしていたらしくて、だから今でもペンの持ち方が変なんです。外で遊ぶのも好きだったけど、絵を描くのと物語を読むのが好きでしたね。幼稚園の時に絵画教室に通っていたんですが、九分割した紙を渡されて、好きな色から塗ってって言われた時は、普通、幼稚園の女の子だとピンクとかオレンジを選ぶそうなんですが、私はブリリアントグリーンを塗ったりして、それはよく覚えてます。幼稚園の頃が一番“中二病”だったっていう(笑)。

――他の人と同じなのが嫌だったんですね。

演奏会とかあると、みんなは縦笛とかカスタネットで、私だけ鉄琴とか。天邪鬼っていうか、サブカルでした。

――最初に衝撃受けた漫画は何でしたか?

小学校の低学年から読み始めて、一番好きだったのは恐怖漫画でした。楳図かずおさんの『洗礼』とか、つのだじろうさんの『恐怖新聞』とか、心霊漫画の黒田みのるさんとか、日野日出志さんとかが大好きでした。小学校4年生の時に、誕生日に何が欲しい?って聞かれて、黒田みのるさんや日野日出志さんとかの漫画を買ってもらって、机の前に置いてニコニコしてました(笑)。小さい時って怖いものとか、刺激が強いものが好きじゃないですか。だから本も江戸川乱歩シリーズとかを読んでました。

――意外ですね。少女漫画は読んでなかったんですか?

みんなは『なかよし』とか『りぼん』を読んでましたけど、小学校の頃はまだ“中二病”を引きずっていて、「そんな女子供が読むものは読まない!」みたいな(笑)。『キャンディ·キャンディ』は読んでましたけど、ずっと少年マンガだったんですよね。松本零士さんの『キャプテンハーロック』とか、あのへんのSFも好きでした。手塚治虫さんの『ブラックジャック』とかも。

――少女漫画は読んでないけど、漫画少女ではあったんですね。

そうですね。小学校3年生くらいから、コマ割って話を作ったりしてて、自分では覚えてないけど、小学校の時の友達に「漫画家になった」って言ったら、「やっぱり。ずっと漫画家になるって言ってたもんね」って言われました。小学校5年生くらいになったら、自分と同じくらい漫画を描いている子がいて、その子と2人で同人誌みたいな肉筆誌を作って月刊で発行していました。

――その後、中学高校では漫画部所属とかだったんですか?

中学になると逆に“中二病”が薄れて、フツーに『りぼん』とか読むようになったんです。小椋冬美さんやくらもちふさこさんとかが全盛期で、少女漫画を描くようになりました。部活には入ってなかったんですが、漫画を投稿し始めたのがその頃からです。高校は大阪の美術系の高校に入ったんですが、美術系だけにお洒落な子がいっぱいいて、漫画なんかダサい!って(笑)、高1くらいの時は英国ロックが流行ってて、音楽のほうに流れました。エコバニ(エコー&ザ・バニーメン)やキュアーとかが好きでした。

それで高校生活がすごく楽しかったので、就職とかしたくないなって思って。で、美術系の高校だから毎週デッサン何百枚とか、とにかく課題がいっぱいあって、もう勉強するのもいやだ~って思って、高3までにどうにかしないとと思ったら、そういえば私、漫画が得意だったって思い出したんです。それで、高2の最後の進路相談までに漫画家になろうって、計画的に投稿し始めました。そうしたら高2の終わりくらいに、『なかよし』に私の作品が載ることが決まって、それで生活が保障されたわけじゃないんですけど、「もう私は漫画家になるから大丈夫!」って言ってましたね(笑)。

――最初は実家でお仕事されていたと思いますが、いわゆる売れなくて苦労した時代というのもあるんですか?

あの頃は今と違って新人でも描く場所がいっぱいあって、2ヵ月に一度読み切りを描かせてもらってたんです。でも高校卒業してからは、親から家にお金入れろって言われて、でも2ヵ月に一度だと大した原稿料にはならないので、1ヵ月描いて、1ヵ月バイトしてって感じでした。バイトは大阪のカフェバー。サーファーの店でかわいかったんですけど、私は髪は刈り上げてコム・デ・ギャルソンみたいな服を着てたので、すごく浮いてました(笑)。

――でもコンスタントに描き続けてたんですね。

そうですね。で、19歳くらいの時に『なかよし』で連載の枠があるから描いてみないかって言われて。それまでは男の子が主人公とか好き勝手に描いてて、自分では満足してたんですけど、『なかよし』用に、女の子の目を大きくしたりして頑張って描いたら、その連載の一回目のアンケート結果がよかったんです。で、連載が1年間くらい続くことになって、ちょうど20歳になったので、そろそろ一人暮らししようかなあって大阪の家賃を調べたら、東京とそんなに変わらなくて、じゃあ東京に行ってみようってことになりました。

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――初期の頃から作風は明るいラブコメが多いですよね。あとギャグの入れ方が絶妙で。

たまにシンミリした話も描くんですけどね。あと私『ドカベン』とかも大好きで、やっぱり少年漫画がベースにあるので、あまりメロドラマっぽくなくて、登場人物のキャラがはっきりしてて、わかりやすく明解っていうのはあると思います。

――漫画家として悩んだ時期などもありましたか?

はい。私、コンスタントに描けるタイプで、月に160枚くらい描いてた時期があったんですけど、それだけ描いてるとおかしくなって、ある時パーッと弾けたものが生まれるんじゃって思ってたら、絵が荒れるだけでした(笑)。よく煮詰まってその後にいい作品が描ける人とかいるじゃないですか。そういうふうには全然なりませんでしたね。で、絵が荒れるのはよくないって仕事を断ってたら、仕事がこなくなったりとか(笑)。

高校生の頃は、別にすごくヒットしなくてもいいと思ってたんです。毎月定期的に仕事があって淡々と過ごしていければと。でもキャリアが長くなると、表紙とか巻頭とかをいただくようになるので、それに見合ったものを描かないといけない。ヒットさせないとって考えるようになって、そうしたら作品が縮こまってきちゃったり、30代はそういう紆余曲折がありました。

――それからどのように『ホタルノヒカリ』が生まれたんでしょうか?

17歳でデビューして、27歳で『なかよし』の専属をやめてフリーになって、その後によく描かせていただいていた『Kiss』の編集部から、恋愛漫画のチームが立ち上がったのでやりませんかって話があったんです。始めはロンバケみたいな、「年下の男の子が家に転がり込んで、疲れてるOLが癒されるとか、どうですか?」って言われて、でもロンバケからだいぶ経ってたので、「え?ちょっと古くないですか?」って(笑)。実はそのちょっと前くらいに、私のアシスタントとか、私よりちょっと若い世代の女の子たちが、恋愛が苦手というか、恋愛に興味ないっていうのに気づいてたんです。私、ドラマを見るのがすごく好きで、感想レビューとかが面白いブログなんかをよく読んでて、「すごく面白いドラマなのに、恋愛寄りになっていってつまらなくなった」みたいなことがよく書いてあって、「あ、今ってそういうムードなんだ」って思って。

私はずっと少女漫画を描いていたので、女の子は恋愛が大好きだってずっと思い込んでいたんです。で、自分はそうじゃないから、一生懸命女子っぽく描いてたんですけど(笑)、ある時、「あ、別にこういうふうに描かなくていいんだ」って気がついたんです。

――そこからあのキャラが生まれた、というか、ご自身も「干物女」だったわけですよね。

はい。もちろんです(笑)。

――『ホタルノヒカリ』が人気を得たということは、実際に同じような干物女がいっぱいいたってことですね。

「負け犬」とかもそうだったと思うんですけど、もともといたんですよね。で、名前が付いたことで光が当てられたというか。

――家ではぐうたらに過ごしていた女性に市民権が与えられた(笑)。で、多くの女性が共感しました。

連載を立ち上げる時に、私がこういう感じの話を描きたいって言ったら、女性たちは、「ああ、あるある~」みたいなノリだったんですけど、男性は、「え?この主人公がこんなふうになるのに何か原因があったんですよね?おかしいですよね?」みたいな(笑)

――男子は女子に対して妙な幻想を抱いているところもありますよね。

そうなんです。それで「干物女」のような女子も陽の目を見て、しかも綾瀬はるかちゃんみたいなかわいい女優さんが演じてくれたのが、またよかったですね。

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――連載は6年でしたが、充実した時間でしたか?

そういえば私はずっとこういう作品が描きたかったんだなあって思ってました。あと、描いてて読者の反応がわかる瞬間があるんですよ。とても描き甲斐のある作品でしたね。

――ご自身のベースにある少年漫画と自分自身の生き方と、その時の年齢とか、さまざまな状況すべてがきれいにリンクしたような感じだったんですか?

そうですね。あといろいろ迷ってた時にやってたことも意味があると思えました。『ホタルノヒカリ』は36歳で描き始めて、41歳の時にドラマ化されたんですけど、だからすごい遅いヒットなんです。でも、だから浮かれないでいられたというのもあります。

――――自分自身が作家として熟成してきたと思える時期の作品で成功したというのは幸せなことですよね。若くてまだワケが分からない時にワーッと売れてダメになっちゃう人もいるじゃないですか。

そうですね。その時の自分が肯定されたっていうのはすごく嬉しかったですね。

――その後の『ヒゲの妊婦(43)』は、高齢出産をむかえる人にとても勇気を与えた作品だと思います。これは創作ではなくて自らの体験をストレートに描かれたものですが、どうして描こうと思ったんですか?

まず43歳で生むっていうケースはそんなに多くないし、妊娠してからとにかくすごく楽しかったんですよね。妊娠すると、やっぱりウェブとかでいろいろ調べたりするじゃないですか。で、高齢出産っていうと、不妊治療のこととかツライ話が多いので、明るい話があってもいいかなあって思って。

――その『ヒゲの妊婦(43)』の中で、「マンガを読んで描いて暮らして、ゴハンを作ってくれる旦那さんと結婚するのがずっと夢で、その夢がかなったからもうこのままでいいと思ってた」と描いていますが、お子さんができて生活に変化はありましたか?

変わりましたね。以前はとにかく眠くなるまで描いて、寝て昼間に起きてみたいな感じでしたが、今は子供が夕方6時には帰ってくるので、6時までしか仕事はしなくて、その分早く寝るから、3時とか4時に起きて仕事をする。だから一日に終わりがあるっていうのがすごく新鮮です(笑)。

ずっと村上春樹さんの生活が憧れだったんです。3時とか4時に起きて、ジョギングして、そのあと集中して書いて、お昼過ぎにパスタ茹でて、3時くらいにビール飲んで、みたいな。ああいうのがいいないいなってずっと思ってて、独身の頃にやってみようとトライしたんことがあるんですけど、結局眠くてお昼頃に寝ちゃったりしてましたから(笑)。

――3.11の大震災がきっかけで、東京からご主人の実家がある兵庫に引っ越されたんですよね。やはりお子さんの生活環境を考えてのことですか?

そうですね。私は大阪でもわりと街中に住んでいて、田舎に住むなんて考えたことなかったんですけど、たまたまそういう風になって。車の免許も45歳になってとりました。漫画のドラマ化も、妊娠も、自分でしようと思ったわけじゃないんですけど、40代になってから流されるように新しいことがいっぱい起きて。だから40代はとても楽しかったですね。

――今は漫画もインターネットで入稿できるようになってるそうですね。アシスタントさんも東京にいてネットでやりとりしているとか。

それも妊娠中に調べたら、意外にネットでいろいろできるってことがわかって、よかったです。

――これからはどういう作品を描いていきたいですか?

今住んでいる城崎の話も描いてみたいし、あとエロ漫画を描いてみたいですね、自分がもっと枯れてきた時に。私が小学校の時に70年代の劇画タッチのエロ漫画が流行ってて、そういうのをこっそり読んでて(笑)、なんか肉感的なのも描いてみたいなあって。

――原点に戻って恐怖漫画は?

あ、恐怖漫画とかも描いてみたいですね。探偵ものとかも。

――『ホタルノヒカリ』は、別キャラが主人公で続編も出ていますが、まだ続くのでしょうか?

はい。雨宮蛍と高野部長が生きているうちは、続けたいと思っています。

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取材を行なったのは、ひうらさとるさんのご主人が館長を務められている「城崎国際アートセンター」にて。絶妙なギャグがそこここに散りばめられ、クスッと笑わせてくれるストーリー展開が楽しいひうらさんの作品から飛び出してきたような、屈託のない明るい笑顔がとても素敵な方でした。(文=freesia編集部 撮影=福森公博)
ひうらさとる Satoru Hiura

1966年生まれ。大阪府出身。大阪市立工芸高等学校卒業。ペンネームは小学生の頃に大ファンだった水島新司の作品の登場人物(『野球狂の詩』の「火浦」健と『ドカベン』の里中「智」)に由来する。18歳の時に『なかよし』に掲載の「あなたと朝まで」でデビュー。以降、同誌専属で作品を発表していたが、27歳からフリーになり、『Cookie』『月刊プリンセス』『Kiss』などで連載。2004年からの作品『ホタルノヒカリ』がドラマ化されるなどして大ヒット。「干物女」という流行語を生み出した。他の代表作に『月下美人』『プレイガールK』『ヒゲの妊婦(43)』『メゾンde長屋さん』など。
SATORU HIURA OFFICIAL WEBSITE

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ホタルノヒカリ
『ホタルノヒカリ』

会社では有能だが恋愛には興味がなく、家ではいつもジャージで漫画を読みながら一人手酌で酒を飲むという干物女の雨宮蛍。ひょんなことからキレイ好きで几帳面な上司の高野部長と同居することになり、年下の彼も出現。久しぶりの恋愛に戸惑う蛍の恋の行方は如何に?綾瀬はるか、藤木直人主演でドラマや映画にもなった代表作。全15巻。講談社刊。続編の『ホタルノヒカリSP』が講談社『KISS』にて連載中。

ヒゲの妊婦
『ヒゲの妊婦(43)』

男並みに仕事最優先で「ヒゲ度」の高い人生を送ってきたひうらさん。ところが40過ぎで結婚し、43歳で妊娠&出産という本人も予想外の展開を迎えることに。漫画の連載を抱えながら、超高齢出産をどう乗り越えたのか?自身の体験をリアルに描いたこのエッセイ漫画は、ユニークでクスッと笑える十月十日の妊婦の記録。妊娠してない人も楽しめます。巻末のおかざき真理さんとのママ対談も読み応えあり。講談社刊。

うらら
『うらら』

29歳の園田美音は女性ファッション誌の編集者。仕事も私生活も順調で、穏やかな日々を送っていたが、とある理由で東京の離島「羽卵白砂島(うらら)」に住むことに。3.11以降、ひうらさん家族が田舎へ転居した後に描かれた、田舎暮らしをベースに人生の再スタートを切る女性のストーリー。アラサー女子のコミカルなIターンライフとともに、島のイケメンたちとの紆余曲折の恋愛話にもときめきます。全4巻。講談社刊。