私は2000年から2006年頃まで、かなり頻繁に新彊ウイグル自治区に通い、ロバ車の写真を撮っていました。先日、日本のギャラリーで写真展のお話をいただき、その当時に撮影した作品を整理しているところなのですが、皆さまにもこの地の風景をちょっとご紹介したく、今回はロバの話をさせていただきます。
新彊ウイグル自治区に最初に訪れた時は、北京駅から汽車に乗って三日三晩かかりました。たどり着いたシルクロードの街トルファンに降り立った時、優しい土のにおいがしたのを覚えています。
コーランの聞こえるその街で、私は生まれて初めてロバ車に乗りました。
ロバはなかなか言う事を聞いてくれませんでした。オスロバはメスが来たら、どんなに怒られてもメスの方に走って行ってしまうのです。ロバは表情も実に豊かで、感情をしっかりと持って生きていました。
そんなロバがおかしく、少しうらやましく思いました。私もロバのように、好きな人のところに遠慮しないで走って行けたらいいのになと。気がつくと、私はロバの写真ばかり撮っていました。
この地で使役として使われているロバは大変そうで、丸太を運んだり、遊牧民の移動では砂漠の中で水を運んでいました。
でもロバたちは、食べたいときは食べる!働きたくない時は働かない!と、自分をしっかり持って陽気に生きているようでした。
そんなロバのいる暮らしを見ていると、私はなんだかホッとしてしまい、「どうして私はもっと優しくなれないんだろう」と感じてくることもありました。
撮影した6年間、この地域の発展と変化は激しく、当初街中は車の代わりにロバタクシーや運搬用のロバ車であふれていましたが、今では郊外の農村部に行かないとロバは見られなくなりました。
近代化は人々の生活に便利さをもたらしますが、同時に地域の文化や習慣が消えてしまうのはとても淋しいこと。いずれなくなってしまうであろうこの風景を、私はずっと覚えていたくて、写真で記録したいと思いました。