初めてその絵を見たときは、中国人が描いたものとは思いませんでした。目が覚めるような鮮やかな色彩、なまめかしい裸体の女性、今にも羽を動かしそうな孔雀やオウム。画家の名前はワラッセ・ティン(丁雄泉)。1928年に無錫で生まれ、上海で成長した中国人です。上海の美術学校に入学しますが、ごくわずかな期間で自主退学。18歳のときに単身で香港へ渡り、その後パリ、ニューヨークへと移ってアンディ・ウォーホルらと親交を深めながら海外で活動します。その作品はニューヨークのメトロポリタン美術館などにも収められています。
私が作品の実物を見たのは「龍門雅集 Longmen Art Projects」という台湾人の親子が上海に開いたギャラリー。4年前に取材で訪れたとき、VIPルームの壁一面に飾られていたティンの絵のなんともいえない強い力に圧倒されたのでした。
龍門雅集オーナーのジェフリー・リーさんは9歳のときにアメリカで教育を受けるため、母親と共に渡米します。台湾の有名なキュレーターである母親はかつてティンと仕事をしたことがあり、ニューヨークで再会して家族ぐるみで交流したそうです。後にジェフリーさん親子が上海へ移り住み、中国現代アートのギャラリーをローンチする2010年、ティンが亡くなり、遺作の管理を頼まれることになりました。欧米で活躍した上海ゆかりのアーティストの作品を台湾人が上海で管理するという不思議な運命。ギャラリーは13年の移転以降、ティンの作品を一般公開しています。
セクシーな女性や色鮮やかな鳥や花はティンの絵の代表的なモチーフですが、元々は水墨画のようなモノクロの絵や抽象画が中心だったそうです。画風がガラッと変わったのは1970年代。母が亡くなった知らせを受けても文化革命の動乱に揺れていた中国に帰ることができず、苦悩した時期でした。西洋人の女性のヌードを次々と描き、やがて古代の中国人の女性や動植物も描くようになっていきます。
絵筆を本能のままに動かしたような粗い線や色使いは、彼の波乱の生き様を表しているようにも、時に子どもが描いたようにも見えますが、鳥が確かに鳥らしく、花は花のように、女性は女性のありのままに、燃えるような生命力を湛えています。ワラッセ・ティンの絵が放つ魔力にひかれて、私は時々このギャラリーへ足を運びます。ティン本人は自らを蜜蜂や蝶になぞらえ「採花大盗(花泥棒)」と名乗っていたそうですが、なにより彼は見るものの心を奪ってしまうようです。
●龍門雅集Longmen Art Projects