Shanghai:上海
2015-08-18
ゴッドファーザーの別荘でお茶を

この夏、「桂林公館」という場所を訪れる機会が何度かありました。上海の中心部から南西に少し離れたところにある、茶館を併設した広東料理のレストランです。この一帯はかつて黄金榮(ホワン・ジンロン)という人物の別荘でした。
黄金榮、杜月笙、張嘯林といえば、昔は泣く子も黙る暗黒街の3大ボス。上海がアジア一の都市として栄え、魔都とも呼ばれた1920~30年代に暗躍した、いわゆる上海マフィアです。なかでも年長の黄金榮はゴッドファーザー的存在。アヘンの密売や賭博など、裏社会で権勢を振るった彼らが建てた豪奢な邸宅や施設は、今も上海のあちこちに残っています。桂林公館のようにレストランやラグジュアリーホテルとして使われているところもあります。

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桂林公館の建設は1931年。桂林公園という中国式庭園の中にあり、もともとは「黄家花園」という名前でした。敷地内には母屋のレストランのほかに数棟の離れがあります。当時はこの周辺の気温が繁華街よりも低く、毎年夏を過ごす別荘として使われました。ちなみに、後に付けられた桂林という名は、黄金榮の最初の妻・林桂生の名前に由来するそうです。

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当時の富裕層が好んで建てた洋風建築と異なり、ここの建物は伝統的な中国様式。ただし、インテリアは基本的に華洋折衷で、ステンドグラスやランプが随所に配されています。全体がきれいに修復され、アンティークも買い足されてはいるものの、2階の個室などはオールド上海の世界に迷い込んだような妖しげな魅力があります。

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私は「四教廳」という離れの建物でお茶をしました。寺院の宝殿を模した天井の高い空間で、黄金榮のお気に入りの場所だったそう。現在は茶館になっていて、蘇州式のお菓子と共に中国版アフタヌーンティーを楽しむことができます。ずらりと並んだ紅木(マホガニー)の家具は往時のもの。黄金榮自身が座っていた重厚な椅子も残っています。かつて多くの要人がこの離れを訪れたといわれ、正面に掲げられた「四教廳」の扁額も蒋介石による揮毫を元にしたものだとか。

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テラス席からは野外劇場の舞台が臨めます。観劇を愛した黄金榮のためにつくられたものですが、今では公園に住む猫たちの憩いの場です。

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ゴッドファーザーは最盛期を過ぎてどうなったか?
1949年に蒋介石率いる国民党が内戦に敗れると、世の中は一変。杜月笙ら仲間や親類は国外へ逃亡しましたが、高齢だった黄金榮は上海にとどまりました。過去の悪行について後悔の文書を発表するものの非難が止まず、反省を示すために街の清掃奉仕をする姿があったといいます。最後は自宅に蟄居し、1953年に85歳の生涯をひっそりと終えます。
桂林公館の四教廳でプーアル茶を飲みながら、彼は晩年、この夢の跡にどんな思いを抱いて上海の夏を送ったのだろうと、なんだか少し感傷的な気持ちになったのでした。

●桂林公館
上海市徐匯区漕宝路188号 桂林公園内