NewYork:ニューヨーク
2016-03-29
市川海老蔵さんinカーネギーホール公演で思ったこと

日本国内でも報道された、カーネギーホールでの市川海老蔵さんの公演。能、狂言、歌舞伎がひとつの舞台で堪能できるという日本でも珍しく、アメリカではもちろん初めての公演へ、私も着物で行ってきた。

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「海老蔵さんが来るんだって!」情報はあっという間にニューヨークの日本人社会と、日本好きなニューヨーカーたちの間を駆け巡った。発売後早いうちにチケットはソールドアウト。一番お高いお席は800ドル!今のレートでいくと9万円近い計算になる。「誰が買うんだ」と思ったのは私だけで、その席から売れていったというのだから、さすがニューヨーク、あるところにはあるということらしい。

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事前に海老蔵氏の講演会も2カ所でおこなわれ、これらにも大勢の日本人が駆けつけた。至近距離で拝見するに、やっぱりスター役者は文句なしにかっこいい。ついつい我を忘れてミーハーしてしまった。前夜のレセプションでは、飲み物を片手に、もう一方の手のひらが、女型の動きで舞を舞っていた海老蔵さん。体はそこにあっても心はすでに翌日のカーネギーホールに立っていたのだと思う。

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いよいよ当日、ニューヨークの地に美しい檜舞台が作られた。人間国宝の亀井忠雄さんの大鼓の音が、まるでカーネギーホール最上階席奥の一点を射抜くように、スコーンと小気味よい。地謡の深い声も劇場の隅ずみまで響き渡り、笛の音が胸に染みいる。能役者の水面をすべるような歩き方に、思わずほーっとため息がでた。休憩をはさんでいよいよ海老蔵さんが登場。やはり舞台で映えるその姿は眩しい。正直若いころには「退屈」に感じたのに私も大人になったものだ。と思ったのだけど、なぜか、、、「すごい」舞台なのに私と舞台との距離は最後まで縮まらなかった。

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裸の王様レベルに言いにくいことだけど、日本人の私が「説明があるともっと楽しめるのに」と思うのに、ニューヨーカーはどう感じたんだろう。日本語も堪能で日本のこともよく知っている人に「本当のところはどう?」と聞いてみた。「すごいとは思ったけど、内容がよくわからなくて残念。オペラだって訳がつくのにちょっと不親切」と答えた。もちろんニューヨークにも博識の古典芸能ファンはたくさんいるので誤解なきよう。でも海老蔵さんのスター性も大きな要素で、足を運んだ人たちの中にはそういう意見も少なからずあったのは本当のこと。

海外でこれだけの一流メンバーがそろった舞台を観られるだけで、ありがたい話。それは承知の上で、でもだからこそ、あともうほんのすこしの工夫で、カーネギーホールをうめた2800人の中の未来の古典芸能ファン予備軍に「こんなに面白いものだったんだ!もっと観たい!」と思わせることができるものすごいチャンスだったのに!となんだか歯がゆかったような。アメリカで歌舞伎人気を喚起することも目的ならば、もう少しだけ雲の上から降りてきてほしかったような。

でもこうも思う。時代は私の気がつかない間に変わっているのかも。ニューヨーク歴の長い者たちは、異国の地でなんとか日本の素晴らしさをわかってもらおうと、一般人ながら日々の生活の中で必死で説明してきた経緯がある。だから、「これが日本文化です。どうぞそのままで感じてください」的な出し方を目の当たりにすると、「それはまずい」と勝手にサイレンが鳴ってしまうのかも。

過去にNYのリンカンセンターで平成中村座が初めて公演をした時、全員に日本語と英語で説明が聞けるイヤホンが渡され、ラストでNYポリスが登場するなどという大きな賭けに出て大成功。あの時の客席のどよめき。やってくれるなーという驚きと喜び。日本のお江戸と今のNYがぴたっと繋がり舞台と客席がひとつになったマジカルな瞬間だった。「来てくれる人にどうやって楽しんでもらえるか」という作り手の熱い想いがビンビン伝わってきた。あれからもう12年。

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話はそれるが、カーネギーでの公演から2週間後、今年もグランドセントラルステーションではジャパンウイークと題して日本への観光を促す催しが行われていた。過去に私も着物ショーの司会や、お琴の演奏などで参加した。今年はそういうステージでみせるものはなく、会場の真ん中に設置された回転寿司がメイン。大人気。ラーメンやお菓子にも列。そして、そもそも入場するのに長蛇の列。アジア系の人が多い様子。

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海老蔵さんの「過去にNYで先輩たちが革新的な歌舞伎をやってくれたからこそ、今回は、ザ古典を持ってこられた。」というコメントを思い出す。もしかしたら、演目の内容を一生懸命説明したり、カリフォルニアロールを考案したり、わざわざ外国人仕様にしなくても、クールジャパンな「日本文化そのまま」を提供することで大丈夫な時代に入ってきているということなんだろうか。

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個人的には「来てくれた人に楽しんでもらいたい」熱が伝わってくる方が好みではあるけれど、私が今回感じた距離は、時代の追い風、若さの勢いで、あとからくる人たちがクールなままで、いろんなものを軽々と超えてしまうことへの、ちょっとした悔しさなのかもしれないとも思う。

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