熊本地震のニュースをうけて、ニューヨークでも支援の輪が広がっている。NY日系人会、NY日系ライオンズクラブ、ジャパンソサエティー、大分県人会インターナショナルなどが早くから義援金の受け付けを始め、九州人が一丸となって日系人会で5月15日に復興支援イベントをすることを決め、準備が進んでいる。個人でも料理研究家で熊本出身の山脇奈津子さんは、お母さまが車中避難しておられる中、義援金を募るサイトを立ち上げた。
ピアノとクリスタルボウル奏者の守谷直恵さんも17日に行われた自身のNYコンサートからの収益金は被災地に寄付することを決め、大分出身の近藤三奈さんは「地震のエネルギーが静まるように祈りやレイキ、気功や音楽、好きな形で一緒に祈りを送ってください」と、夜それぞれの家で被災地に向け祈りを送ることをいち早くよびかけた。
現在NYで活躍中のミュージシャン大江千里さんは、5月にはハワイで、東日本大震災チャリティーコンサートをおこなう予定で、熊本地震のニュースが流れたNY時間で14日の夜には、同チャリティコンサートのNY版を開くことになっていた。
一時はキャンセルも考えられたが、大江さんの強い想いでコンサートは開かれた。急遽チャリテイーイベント収益の一部を熊本にも寄付することを決め、すでに寄付した方で異存のある方には返金することも含め、理解と協力を訴えた。
そんな大江さんが作った「KUMAMOTO」という曲がネットで流れた。「離れていたって君を想う。どんなに遠くにいる時もずっと、ずっと……」という歌詞で始まるこの曲を聴きながら、私は21年前を思い出していた。私の故郷神戸を襲った阪神淡路大震災。当時はまだネットもなく、姉の家族と何日も連絡がとれず、狂わんばかりの形相で日本書店に走った。新聞の死亡欄に名前が載っていなければ、少なくとも印刷された時点ではまだ生きている可能性がある!藁をもつかむような思いで。
結局幸いにも姉家族は、近くの小学校に無事避難していることがわかかり、すぐにでも飛んで帰りたかった。でも、「今は邪魔になるだけ。故郷を思うなら待った方がいい」というある人の言葉に納得せざるを得ず、必死で一ヶ月我慢した。今だから言えるけど、あの時のニューヨークほど孤独を感じたことはなかった。神戸出身、あるいはゆかりのある方たちは心配してくれたけど、当時それ以外の日本人の反応が、あまりにも“他人事”だったから。人々の反応にいちいち傷つき、見極め、切り捨てていった。
どんどん一人で意固地になりながら一月こらえてやっと帰省。被災直後のボランテイア熱が冷めた頃だからこそ現場で必要な物、コトを教えてもらおうとあちこち取材した。そんな中、まだ市役所横の広場で避難を続けていた男性に話を聞かせてもらおうとしたら「今頃何しに来たんや!? 遅いわ!」「ニューヨークなんぞに住んでるあんたが何してくれるっていうんじゃい!」とパイプ椅子を蹴っ飛ばされてしまった。まだ少し冷えた夕暮れにパイプ椅子が転がる音は、いまだに耳に残っている。
3.11、そして熊本と、厳しい試練を乗り越えて、困っている人への想いを行動に移す日本人の意識も、それを支えるテクノロジーも圧倒的に進化した。あんなに“他人事”だった頃から比べたら、ちょっと迷惑レベルまで「動かずにはいられない愛」は増えた。今頃になってやっと正直な気持ちを人に話して思いっきり泣いた。比較したらキリがないけれど、あの時、私は私でつらかったんだと。そして私がそうすることで「実はわたしも……」と話し出す人も何人かいた。一緒に泣いて、ちゃんと進める気がした。
そんな中ドキュメンタリー映画『ナオトひとりぼっち』がニューヨークのCRSで再上映された。福島県富岡町で、松村ナオトさんが原発汚染地区に取り残された動物たちの面倒をひとりでみながら暮らす様子を描いた作品。
『ラーンフロム311(311から学ぼう)』のきよみさんが、主催した。
熱い運動家でも動物愛護者でもない主人公が、「だって見捨てるわけにいかないし」と、そうなってしまったお役目を生きている。そんな素朴な姿勢によりそう形で淡々とみせる中村真夕監督。ほのぼのとしたそのままの姿から、声なき動物たちの声がかえってパワフルに伝わってくる。まだまだ先の見えない今回の熊本地震。川内原発も稼働し続けている今、この映画はさらに大きな意味を持つ。過去の辛い経験から、熊本市内の避難所ではペット同行避難が認められたはずなのだけれど、現実にはトラブルが絶えないと聞く。海外に住んでいても、というか、離れているからこそできる「何か」がきっとあるはず。焦らず長い目で応援していきたいと、海の向こうから想う。