Paris:パリ
2015-09-24
「香り」が生み出す不思議な回想

アマレットというイタリア産のリキュールがあります。これを香りづけに使った「ティラミス」、日本ではすっかり定着していますが、一大ブームが起こったのは1990年頃でした。先日遊びに行った友人宅でこのお酒をみつけ、そういえばもうずいぶん長いことティラミスを食べていないとふと気づき、特に大好物というわけではないのですが、25年前の日本の世相や、自分の生活ぶりを思うと妙に懐かしく、いたずら心も手伝って、その瓶の栓をくいとひねり、鼻先をそっと近づけてみました。

SKY1

すると、あのアーモンドのような強烈な芳香に刺激されて頭に浮かんだのは、25年前どころか、そこから更に10何年か遡った、70年代の数年を一家で過ごした東京隣県の、とある公園に集う見知らぬ少年達のはしゃぎまわる姿だったのです。

こうこうと輝く月明かりの下、噴水の水をかけあって飽かずにじゃれあって、ずぶ濡れになったひとりの男の子は夜風に唇の色を変えカチカチ歯を鳴らしています。私はひとりきりで、彼らのことを遠巻きに眺めていて、その間ずっと、どことなく物悲しいような気持ちでいたのですが、その子供の日の私自身が感じた切なさが、今日の私の胸に激しく舞い戻ってきて、一瞬息が詰まらんばかりで、そのなんの脈略もない連想と突然の感情の高まりに我ながら面食らってしまいました。

MOON4

「香り」をきっかけに過去の回想がはじまるといえば、プルーストの小説「失われた時を求めて」がよく知られています。母親からすすめられた温かいお茶に浸したマドレーヌを、ふと口にした語り手はそこで「えもいわれぬ、強烈な快感」を得、しばし戸惑うのですが、今味わっているこの風味は、コンブレーという町で幼い頃の自分に、レオニ叔母さんが差し出してくれた菩提樹のお茶とマドレーヌのものであるのだ、ということに突如気づくと、そこから内部世界の探求がはじまるのです。

Tea

このように、臭覚への刺激がきっかけで、目の前にある局面とはあまりそぐわない感情が芽生えるというのは、実はそう特殊なことでもないような気がします。「におい」に先導され、かつて得た情感を今に連れ帰り再体験する。それによってフラットな日常に奥行き、重層感、多面性が生まれ、「生」の濃度が増す、というようなことが、時々ないでしょうか。

噴水のまわりではしゃぐ男の子達をじっと見つめていた女の子は、その日はお姉さんのおさがりの真っ赤なコートを着ていたのですが、夜目には少し沈んで映ります。そしてそのコートには背中の真ん中あたりにリボンステッチが巡らされデザインのアクセントになっていて、女の子の髪の毛はちょうどそのステッチにかかるあたりの長さでまっすぐに切りそろえてあるようです。

ところで、どうして今、私の目にその女の子、つまり私自身の後姿がはっきり浮かぶのでしょうか。私を切ない思いにさせたあの男の子達は実在したのか、それとも私の空想の産物を記憶と履き違えているのか、そのあたり、実は少々、定かではなくなってきてしまいました。

Blog6 vin
写真向かって左から ●Chambolle-Musigny SERVELLE TACHOT 1985 ROUGE(シャンボール・ミュジニー、セルヴェル・タショー 1985年 赤) ●MOREY-SAINT-DENIS 1ER CRU LES MILLANDES Domaine ARLAUD Pere et Fils 1995 ROUGE(モレ・サン・ドニ、プルミエ・クリュ、レ・ミランド、ドメーヌ・アルロー・ペール・エ・フィス 1995年 赤) ●Hospice de Beaune MAZIS-CHAMBERTIN Grand Cru Cuvee Madeleine Collignon 1997 ROUGE(オスピス・ド・ボーヌ、マジ・シャンベルタン、グラン・クリュ、キュヴェ・マドレーヌ・コリニョン 1997年 赤) ●POMMARD RUGIENS 1ER CRU Domaine Michel GAUNOUX 1998 ROUGE(ポマール、プルミエ・クリュ、ルジアン、ドメーヌ・ミシェル・ゴヌー 1998年 赤) ●Villars-Fontaine Au Chateau Le Rouard Blanc 2001(シャトー・ヴィラール・フォンテーヌ、ル・ルアール 2001年 白 )

「秋の夜長に」というイメージで選んだ5本。いずれもかなり熟成の進んだ芳醇なワインです。色味がオレンジやガーネットに近くなっている赤ワインなど、タンニンの角が取れ、丸みを帯びている証拠で、また、果実のフレッシュ味に代わりムスク、革、そして森の下生えなどの香りが複雑に絡み合い、謎めいて官能的でさえあります。<写真提供(ワイン以外)*藤岡貞二 Fujioka Teiji>