Paris:パリ
2015-12-17
100歳少女 100歳ワイン

1915年生まれの100歳の少女が駄々をこねる。
サハラ砂漠でらくだに乗るお父様に、早く帰ってきてねとお手紙書かなくちゃ。
チュニジアの空を飛び交う夫に、3人目は元気な男の子でしたと伝えて下さい。
70歳で先に逝った長男がお腹をすかせて泣いてるわ。誰かミルクを持ってきて。
いつか老婆になっても独りでここに残ります。この家に戻る人が必ずいるから。

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1915年生まれの100歳の少女が駄々をこねる。
暖かな外套を着て綺麗に髪を結い、紅をさしてからでないとお出かけできない。
<お嬢様、こんな感じでいかがでしょうか?>
なかなか素敵。お母様に似てきたわ。ではみなさん、そろそろ、ごきげんよう。

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第一次世界大戦で父親を亡くし、第二次世界大戦で夫を亡くした義理の祖母が、今年100歳の誕生日を迎えたその約3ヶ月後に他界しました。同じ年に生まれたエディット・ピアフ、フランク・シナトラ、オーソン・ウェルズそしてイングリッド・バーグマンなどはずいぶん昔に亡くなっていて、もはや伝説の域の住人であるような気さえしますが、彼らの知らないこの数十年の世の中を祖母は生きてきたんだな、と思うと不思議な感慨が沸いてきます。ピアフは携帯電話やEメールアドレスなど持っていなかったでしょうからね。

頭脳明晰かつ逞しい心の持ち主であった祖母は、子供達が全員独立し家を出た以降、昨年までの長い間はパリ郊外の生家からほとんど離れることはなく、戦争未亡人としてずっと独り暮らしを続けてきました。かといって、誰の助けも必要でなかったというわけではもちろんありません。

晩年には、病気、怪我、電化製品の故障、盗難騒ぎ等々、トラブルは日常茶飯事で、何かあるたびに比較的近くに住む身内が呼びつけられていました。が、そのような援助を求める電話をかける力さえ失った時、縁のある地方の施設への入所をようやく決意したのです。

亡くなる直前の祖母は弱々しいながらも口を利くことができましたが、話しの内容から察するに、自分が100歳の老婆であるという自覚はあまりなく、あちらこちら時空を彷徨いながら、中年女性になったり、小さな子供になったりしていたようでした。

先日おこなわれた祖母の遺品の形見分けの席で、資産価値ゼロと判断された、無名の日曜画家の作であるというこの肖像画を、そういうことならば血縁者でもない私が名乗りを上げても大きな波風は立ちまいと、譲り受けてきました。

とは言っても実は、この絵のモデルは祖母ではなく、いったいどこの誰なのか分かっていないのです。絵の裏面に記されている制作年月日と少女の年頃を合わせて考えると、たぶん、祖母が通った学校の同年の友人であろうと言われてはいますが、それをあえて問いただそうとした祖母の子はひとりもいなかったのだとか。なぜなんでしょう。寝室という密やかな空間で、自分の母親と90年近くを共に過ごしてきた少女だというのに。。。だからこそなんでしょうか。。。

ところで、もし誰かがちょっとしたいたずら心をおこして、この絵のモデルは祖母であったというような資料を捏造したとします。そうすると、祖母の血を引く子孫が何代か代替わりした後には、その作り話しが真実として彼らに伝わってしまう可能性はなきにしもあらずです。祖母の子供の頃の姿が確認できるものと言ったら、今現在すでに色褪せた上、傷だらけになった小ぶりな写真がほんの数枚残るばかりで、鮮明なデジタル記録など皆無なのですからね。

それとも、そんな遠い未来には、生前のピアフには現代のインターネット社会など思いもつかなかったであろうように、私たちのせいいっぱいの空想をはるかに超える科学技術が登場していて、 そんな小細工など簡単に見破ってくれるでしょうか。今年生まれた子供が100歳になる時には、いったいどんな世の中が待ち受けているのでしょう。

が、今日のところはとりあえず、すぐそこまでやって来ている2016年が、皆様にとってきっと良い年となりますように。
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新しい年を迎える前に、この100歳のワインを開けてみようと思っています。

4Beaune 1er Cru Cuvée Nicolas Rolin Hospices de Beaune 1915 Rouge(オスピス・ド・ボーヌ ボーヌ プルミエ・クリュ ニコラ・ロラン 1915 赤)