Paris:パリ
2016-09-20
昔も今も多くの女子が夢見る“国際的バレリーナ”

「生まれ変わったら、次の人生ではぜったいパリ・オペラ座のエトワールになってみせる」が飲めば口癖の大河内美和子から、久しぶりにメールが届いた。この8月の頭にBunkamuraで催された『エトワール・ガラ2016』を観ての感想とか、日本人の母を持つ現オペラ座団員オニール・八菜さんの『ブノワ賞』受賞に涙した話しとか、そんなこんながつらつらとつづられていた。そろそろ齢50に手が届かんというわたし達。美和子と私とは東京都武蔵野市にある某女子高を舞台に、80年代の賑々しい世相に翻弄されながら共にややこしい思春期を送って以来の仲となる。

ところでこの女子高、実は日本人初の国際的プリマ・バレリーナ、森下洋子さんの出身校なのだが、そもそもそれこそが美和子にこの学校への入学を志望させた所以であった。年上の従姉妹の家の物置で発見した『りぼん』『マーガレット』『少女フレンド』等々、各少女向け雑誌の60年代初頭グラビアコーナーを<白鳥の舞>で飾る天才バレリーナの可憐な姿に感銘を受け、“わたしも洋子様みたいなふわふわのチュチュを着て爪先でくるくる回ってみたい!”と思ったのが5歳でバレエを習い始めたきっかけだったという。

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そんな女の子も大学の医学部受験を前にして”習い事”からはすっぱりと身を引き、そして全体的な地形が「自由の女神像」を彷彿させる京王線沿線のとある町で、いまだ大河内美和子のまま、自分が生まれた産院のはす向かいに暮らし続けている。が、熱烈なバレエ・ファンであることに変わりはないし、就寝前の柔軟体操だけは熱を出してもかかさない。現在ハンガリーを拠点とする日本人ダンサー、マリーとは、この友人を介してパリで知り合ったのだった。

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東京大学教育学部付属中学で勉学に励みつつ、熊川哲也氏主催の『Kバレエスクール』に週6日のペースで通うというハードな生活を送る頃にはすでに、ダンスを<生涯の仕事>とする決意を持っていたというマリー。文化人類学を専攻する聖心女子大学在学中にはフランスのカンヌで開催されたサマーワークショップに参加。本場ヨーロッパで踊りたい、という思いを募らせた。2012年3月、卒業論文「日本における舞台芸術の翻訳的適応」にて学位取得。欧州への留学を実現。そして現在、ブダペストダンスシアター所属のダンサーであるのみならず、クラシックバレエクラスの講師をも引き受けている。

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さて、京都国際マンガミュージアム『バレエマンガ展(2013)』に招待されたパリ・オペラ座団員達の姿を追った映像を観察してみると、彼らの表情がやや強張っているのが分かる。が、それもそのはず、フランスで「クラシックバレエ」といえば<ハイカルチャー>、「MANGA NIPPON」といえば<ポップカルチャー>、それぞれはまったく異なる次元に属するものなのだから。前者は正統な文化の未来への継承を目的に国家によって保護されるもの、そして後者は時代性を強く反映しながらも、消費社会の中で次から次へと生まれては消える、うたかた・・・この二者間に共通項を見出す感性をフランス人に求めるのは、それほど容易なことではないであろう。

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国立パリ・オペラ座に所属するダンサーともなれば入門時点で厳しく選別された後、世間とは隔絶されたかのような特殊な環境の中、フランスの至宝となるべく幼少の頃から英才教育を施されてきたエリート中のエリートである。そんな彼らが極東に位置する遠い島国の、そのまた<伝統と格式の古都、京都>まではるばる招かれてやって来たと思ったら、いきなり、「日本のバレエ漫画をどう思われますか?」「は?え?ええっ?」

彼らにとってそれはきっと衝撃的な一瞬であったに違いない。「こ、こういうものが世の中に存在することを、今まで僕は知りませんでした。実は、フランスではクラシックバレエはそれほど一般的なものではないので、こんな漫画があったら子供達にも親しみを持ってもらえるようになるかもしれませんね・・・汗汗汗」。生真面目にそう答える姿は、あくまでもお行儀良くエレガントではあるが。

つまり「イタリアのルネサンス期にその起源を遡るクラシックバレエは、日本において<大衆文化の一端を担う趣味娯楽>という文脈の中に翻訳されながら取り込まれたことにより、認知、普及が促進され、その結果、適応、定着に成功した」というのが、マリーの論文のテーマだったのだ。

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写真提供:SAYOKO

大正から昭和を生きた、夢見る少女達の西洋への憧れと情熱が日本独自のバレエ文化を生み、育み、世界に通用する一流ダンサーをさえ輩出する苗床をつくった。そして今、日本人ならではの芸術表現の体現者としてヨーロッパで活躍する平成元年生まれのマリーは、まさにその苗床から芽を吹いたひとりだ。

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毎年9月になると必ず、パリ・オペラ座とそしてファッション・ウィークの開幕に合わせてフランスまで飛んでやって来る昔なじみ。ド派手な衣装に身を包んでは会場に繰り出し、この時だけは10代の自分を取り戻す!と意気揚々なのに、今年は来られないという。その理由を訊ねてみると。「自分を取り上げて育ててくれた人の面倒を看る番が来ちゃったのよ、とうとう。ということで、落ち着くまでは当面、自由の女神様のトーチの下からは離れられそうにないわね。はっはっはー。」

ひとりっ子だった美和子は婿養子を迎えつつ、ある時お父さんの病院を継いだ。が、『大河内産婦人科医院』は現在『大河内スポーツ障害予防治療センター』と名と機能を変え、主に若いアスリートやダンサー達の怪我の治療と予防指導を行っている。地元の住人達からは”オーコーチのバレエせんせえ”と呼ばれ親しまれながら。

Mary Katakura photos © Budapest Dance Theatre http://www.budapestdancetheatre.hu/

Flow, Portrait of a Dancer by Jasper Enujuba https://vimeo.com/133508161

Opéra National de Paris
https://www.operadeparis.fr/