cinema
2015-05-26
感性を養う映画との出会い by 久保玲子
#01 ジプシー女性詩人、その波乱の人生

春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神のものにつきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかずーー。旅心が騒ぎ出す季節がやってきた。日々旅にして、旅を栖とす、と書き記した松尾芭蕉も憧れた、大自然や四季に寄り添う旅暮らしを中世から欧州で繰り広げてきたのがジプシーだ。
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どこからか聞こえる鐘の音。ブリューゲル版画を思わせる、銀色に光り輝く入り江の街を長まわしでとらえたオープニングシーンから、一気に観る者を引き込む『パプーシャの黒い瞳』。書き文字を持たないジプシーの、初の女性詩人となったブロニスワヴァ・ヴァイスの波乱の人生を、激動のポーランド史に重ね合わせて描いた珠玉作だ。監督は、本作が遺作となってしまったクシシュトフ・タラウゼ。 
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1910年、若いジプシーが女の子を産み落とすと、呪術師は「恥さらしな人間になるかもしれない」と予言した。愛称をパプーシャ(お人形)と名付けられた聡明な少女は、密かに文字を習い、さすらう心を詩に綴る。草原をゆくキャラバンの群れ、我らを生かす父なる森、闇夜を照らす月の明かりとたき火のゆらめき……。時は過ぎ、秘密警察に負われて、パプーシャの一行に加わったガジョ(よそ者)が彼女の詩才に気づく。15歳で父の兄と無理矢理結婚させられた彼女が密かに慕うこのガジョは、後にポーランドを代表する詩人となるこのイェジ・フィツォフスキだった。この運命の出会いがジプシー女性初の詩集を世に送出すが、固有文化を他民族に明かさないジプシーにとって、文字は最大のタブーだったのだ。呪術師の不吉な予言がよみがえる。
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かつて銀色に輝いていた大地はモノクロに沈み、仲間を追われたパプーシャの孤独がスクリーンを覆う。それでも彼女の心が詩となって大空を駆け巡ったことに、観る者の心は揺さぶられ、癒されるはずだ。
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話変わって、ジプシーの出自をテーマに撮り続けているトニー・ガトリフの『ガッジョ・ディーロ』のよそ者は、亡き父が愛したジプシー音楽を求めて、ルーマニアの辺境をさすらう。やがて彼(ロマン・デュリス演じるフランス人青年)とジプシー娘との瑞々しい恋が真白い雪の大地を弾んでゆく。また15歳の花嫁パプーシャの涙は切なく苦いが、エミール・クストリッツァのジプシー映画では狂騒のウェディング・シーンがお約束だ。ハイテンション・コメディ『黒猫・白猫』では、じいちゃんも大女も、猫もアヒルも馬も山羊も歌い(鳴き)踊り、パワフルな人生讃歌を高らかに奏でる。

これら3作はともに、沸き上がる旅情と魂を揺さぶる音楽、そして異なる文化との出会いを恐れでなく、豊かさと認めようとする視点が、過去や未来でなく、今を生きる旅人たちを輝かせて魅せるのだ。

●『パプーシャの黒い瞳』
ポーランド映画|2013年|監督・脚本:ヨアンナ・コス=クラウゼ、クシシュトフ・クラウゼ(『借金』『救世主広場』『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』) 全国で順次公開中
配給・宣伝/ムヴィオラ 
www.moviola.jp/papusza/

photos© ARGOMEDIA Sp. z o.o. TVP S.A. CANAL+ Studio Filmowe KADR 2013